独り言

思考の結果です

3/28の独り言

・春の空気は新学期の味がする

同じ形のはずなのにこれまでとはまるで違う教室で、見慣れた顔と見慣れない顔が入り交じり、刷りたてのプリントが前から順に配られていく
周りを見渡すと、皆似たように妙にそわそわした空気を醸し出しており、早くここで新たに自分の居場所を見つけなければと半ば焦燥感に似たものを抱えて席についている
最後に掃除したのはひと月程前か、黒板は妙に綺麗で、教室に入る日差しを受け白く反射している
寒くはないが暖かいかと言われるとそうでもない、居心地がいいかと問われたら肯定はできない
あの空気だ
あの空気の味がするのだ

中学3年の時、クラスに仲が良いといえる子が1人しか居なかった
周りは既にもうコミュニティが形成されており、入る隙が無かった
それでも中学3年生という時間は始まって、進んでいく
その時間に並走することが全くできないまま私とその仲の良かった子は浮遊していた
宇宙空間で宇宙船から切り離され、宇宙ゴミとなるものに感情があるとするなら、この時の気持ちとかなり近いだろうと思う

あの時の独特な浮遊感は何にも変えがたく、今でも春の空気は特にそれを想起させる

時間というものは、見上げた月がどこにいても同じように見えるのと同様に、勝手にこちらと並走してくれると思っていた
それがそうではないと気が付いたのはその中学3年の春だった
こちらが一生懸命着いていこうとしないと時間は簡単に我々を置き去りにするのだと知らされた

今現在、ふと周りを見渡すと、結婚や出産、転職や昇進、人生が目まぐるしく変わっていく人々が多い歳の頃になってしまったなと感じる
それでも、時間と並走出来ていないとはあまり感じない

今日丁度そのような話題も出た
周りの人生がすごいスピードで変わっていくという実感があるという話題

今は多分自分の中の自分が固まっているから、あまり周りのことが気にならないのかもしれない
中学3年生、自分の中の自分なんか固まってないよな〜
ふわっふわだったなと思う

自己っていつ固まったんだろう

明確にこの時だなっていうのは無いけど、なんとなくここ4,5年だなという感じはするな
必死に時間と並走しようとしなくなったのは

時間との並走をやめるというか、並走しなくても別にいいんだな〜と漠然と思えるようになった
それが自己形成というものなんだろうな いわゆる

人間として生まれて、こんなに時間経たないと自己形成ってできないんだな
いや私がそうなだけかもしれないけど

みんな自己形成っていつ頃されるんだ?
私は遅い方なんだろうなという気はする
どうなんだろう

というか自己形成を自己形成だな〜と感じられるのって自己形成が完全に終わって何年かしてからなんだなと思う
それはそうか
今自己が形成されてるな〜とか思う人っているんだろうか いないだろうな
もしかしたら死ぬまでそういう実感が無い人もいるかもしれないよな
逆にめちゃくちゃ早い段階でそう実感する人もいるんだろうか

というか自己って定まってた方がいいものだろうか

どこかのテーマパークじゃないが永遠に完成されない自己というのも悪くない気もする

自己形成=居場所が定まる
というわけでもないだろうとは思う

 

・店内で洋楽が流れており、私の耳がそれを細かく聞き取れなくて良かったなと思うなどした

今日たまたま歌詞を知っている洋楽が流れて、耳が勝手に聞こう聞こうとしてしまって困った
頭の中に歌詞が出てくるというか、気がそっちにふれる感じがする

Jpopなど流されたら私は思考を止めてしまうかもしれないなと思った
思考する隙が無くなってしまうな

脳のリソースを何に割くか選べればいいのにな
今はこれを考えるぞ、今はこれをするぞ、というようにできたらいいのに
脳は結構勝手に動くものだよな
自分の体なのに

まあ脳が勝手な事をするのは仕方ないよなとも思う
それでこそ人間という感じもするな

昔読んだ脳科学だったかの本に、「自分とは最も身近な他人」というような旨が書いてあったのを思い出す
本当にその通りだなと時々思い出している