4/1の独り言
・昨日は休日だったので友人と外出してご飯を食べたり買い物をしたりした
目下の目的は映画を観ることだったのだが、久しぶりに会う友人だったので食べて喋っている時間が一番長かったように思う
結局そうなってしまうよな
友人との時間というものは
もちろん同じ映画を観たのだから共通の話題はある
そこはもちろんのことありとあらゆる方向に脱線を繰り返して話題は四方八方へと伸びていった
そもそも友人と映画を観るという行為、健康に良すぎる
他者とインプットを同時に行い、アウトプットも同時に行い、それを共有することが出来る
脳が喜んでいるのが手に取るように解る
映画を観るという行為自体、私にとってアウトプットのためのもののようなところがある
元気に動くためにご飯をしっかり食べよう、みたいなのに似ている気がする
かなり良質なインプットをしたなと思う
何の映画を観たかについては意図的に伏せておく
わざわざ言う事でもなかろうと思うし
・他人とコミュニケーションを取ることを生業としていると、1人の時間の使い方が分からなくなることがある
1人!?どうしたら… というような感覚になる事が最近多い こんな話この間も書いた気がするな…まあいいか
耐え兼ねてコミュニケーションを求め友人に電話をしたり文章でやりとりを断続的にしたりしてしまう
寂しがり屋さんかと
1人で何かをしたりするのは好きだがコミュニケーションに飢えてしまうのとは話が別である
1人で黙々とゲームをしたり絵を描いたりしながら傍らで友人と電話したりやりとりをしたりし続けてしまう 別にいいと思うけど
・ずっと気になっていたスターバックスのコーラフラペチーノをようやく飲むことが出来た
公式から告知があった時から気になっていたのだがなかなか機会に恵まれず、まだ飲めるのか不安になりつつあったが大丈夫だった よかった
コーラの味がするものの炭酸が入っている訳ではなく不思議な感じがた
そのコーラ部分(フラペチーノ部分?)、スパイスが効いていて、所謂クラフトコーラのような感じがあり、かなり良かった
そこにエスプレッソの風味、クリームのバニラの甘みが加わることでコーラフロートのアイスとコーラの境目をずっと飲んでいるような感じがずっと続いた かなり美味しかったな というか好きな味だった
飲めてよかった
3/30の独り言
・今日はなんだかひどく眠かったので日中かなり寝てしまったな
春眠暁を覚えず
私はかなりのロングスリーパーだし、放っておいたらいつまでも寝てしまうタイプだ
それに、時間をスキップする手段として睡眠を選ぶ時もある
ゲームなんかで、寝るという行為で日付があらたまったり、時間が進む事があるがそういうイメージ
予定があったりするとそれまでの時間を潰すように寝てしまう
本当はそういう時間も有意義に使うべきだろうなとは思うがどうも上手く使えないなあ
・このところ、起床直前に複数人と何かをする夢を見てしまう事が多く、(例:友人4人とどこかを散歩している 等)起床時に部屋にひとりぼっちであることに相対的に絶望してしまう
これがかなり悲しく堪えている
夢の中に出てくるのは友人である時もあれば見知らぬ誰かの時もあるが、どちらにしてもその夢が、部屋に私は1人であるということを浮き彫りにして突き付けてくるのだ
1人が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。
ただ起床時の朝の空気感の中、ちいさくベッドで蹲る自分を俯瞰して見た時、あまりにも孤独感の権化であり、それを自分のことながら悲しく思ってしまうのだ。
燃費の悪い感情である
自分を俯瞰して見ることを時々してしまうのだが、精神衛生上あまり良くないなと感じることが多い
やめたほうがいいのは重々わかっているのだがやめられるわけではなくてこれまた悲しいかな
・春だし、暖かくなってきたし元気で過ごしたいな
あんまり自分を俯瞰し過ぎると良くないから
程々にして、元気に過ごせるようにシフトしていきたい
元気というか明るい生活を送りたい
と言いつつ、明るい生活とはなんだろうかと思う
朝起きて、陽の光の暖かさに頬が緩むような
街並みが春めくさまに心動かされるような
夕方のほの暗さに落ち着きを覚えるような
夜の静けさに身を任せて揺蕩うように眠るような
そんな生活をしていきたいと思う
簡単なようで難しい、そんな生活を心がけたい
3/29の独り言
・自分が今良くない状況にあるなという気がすると、同志を探してしまう癖がある
例えば、寝坊して仕事に遅刻したとしよう
そんな時Twitterなんかで「寝坊した」とか「寝坊 遅刻」とかで検索して、今日自分と同じく寝坊して遅刻した仲間を探してしまう
ちなみに私は今日寝坊も遅刻もしていない
自分と同じ境遇にある人を見て、自分だけじゃないと安心しようとしてしまうのだ
この行動に名前はあるのだろうか わからない
日本人特有の考え方のような気もするな
みんな同じだ、自分だけじゃない、というのに安堵するような感覚
でも良くない状況の時しかやらないな
例えば自動販売機で飲み物を買って、ルーレットで当たりが出てもう1本飲み物が貰えたりした時、「自販機 当たった」とかで検索しないもんな
良くない状況の時安堵がほしいだけなんだろうな
私は今安堵が欲しいのだ きっと
ただの安堵ではなく、自分と同じ境遇の者がいる安堵でなくてはだめなのだ
心の隙間に寸分違わずぴったりはまる安堵
それが同志の存在なのだろう
別に人の不幸を喜びたいわけではない
・空腹という感覚があるが、私にとって空腹は文字通りお腹が空いたという感覚ではなく、「今この味が口の中に広がって欲しいな」である
だから
お腹が空いた→何か食べよう
でなく
今ジャムとマーガリンの挟まったコッペパンが食べたいな→そのパンをこそ得め
である
我ながらわかりやすいから便利ではあるが、我ながらわがままだなとも思う
どこかに当たればいいと矢を放つのでなく常に真ん中を射らねばという気持ちがある
大方の人はどうなんだろうか
空腹を感じた時とりあえず今あるものを食べることで空腹を満たす人が殆どだろうか
だからよくある「明日の朝ごはんを買っておく」という行為が私は出来ない
何故なら明日の私が何を食べたいのかその時にならないとわからないからである
明日の的は、その的の中心は、何処に来るのかわからないのだ
明日の自分が何を食べたいのか知れたらいいのにな
3/28の独り言
・春の空気は新学期の味がする
同じ形のはずなのにこれまでとはまるで違う教室で、見慣れた顔と見慣れない顔が入り交じり、刷りたてのプリントが前から順に配られていく
周りを見渡すと、皆似たように妙にそわそわした空気を醸し出しており、早くここで新たに自分の居場所を見つけなければと半ば焦燥感に似たものを抱えて席についている
最後に掃除したのはひと月程前か、黒板は妙に綺麗で、教室に入る日差しを受け白く反射している
寒くはないが暖かいかと言われるとそうでもない、居心地がいいかと問われたら肯定はできない
あの空気だ
あの空気の味がするのだ
中学3年の時、クラスに仲が良いといえる子が1人しか居なかった
周りは既にもうコミュニティが形成されており、入る隙が無かった
それでも中学3年生という時間は始まって、進んでいく
その時間に並走することが全くできないまま私とその仲の良かった子は浮遊していた
宇宙空間で宇宙船から切り離され、宇宙ゴミとなるものに感情があるとするなら、この時の気持ちとかなり近いだろうと思う
あの時の独特な浮遊感は何にも変えがたく、今でも春の空気は特にそれを想起させる
時間というものは、見上げた月がどこにいても同じように見えるのと同様に、勝手にこちらと並走してくれると思っていた
それがそうではないと気が付いたのはその中学3年の春だった
こちらが一生懸命着いていこうとしないと時間は簡単に我々を置き去りにするのだと知らされた
今現在、ふと周りを見渡すと、結婚や出産、転職や昇進、人生が目まぐるしく変わっていく人々が多い歳の頃になってしまったなと感じる
それでも、時間と並走出来ていないとはあまり感じない
今日丁度そのような話題も出た
周りの人生がすごいスピードで変わっていくという実感があるという話題
今は多分自分の中の自分が固まっているから、あまり周りのことが気にならないのかもしれない
中学3年生、自分の中の自分なんか固まってないよな〜
ふわっふわだったなと思う
自己っていつ固まったんだろう
明確にこの時だなっていうのは無いけど、なんとなくここ4,5年だなという感じはするな
必死に時間と並走しようとしなくなったのは
時間との並走をやめるというか、並走しなくても別にいいんだな〜と漠然と思えるようになった
それが自己形成というものなんだろうな いわゆる
人間として生まれて、こんなに時間経たないと自己形成ってできないんだな
いや私がそうなだけかもしれないけど
みんな自己形成っていつ頃されるんだ?
私は遅い方なんだろうなという気はする
どうなんだろう
というか自己形成を自己形成だな〜と感じられるのって自己形成が完全に終わって何年かしてからなんだなと思う
それはそうか
今自己が形成されてるな〜とか思う人っているんだろうか いないだろうな
もしかしたら死ぬまでそういう実感が無い人もいるかもしれないよな
逆にめちゃくちゃ早い段階でそう実感する人もいるんだろうか
というか自己って定まってた方がいいものだろうか
どこかのテーマパークじゃないが永遠に完成されない自己というのも悪くない気もする
自己形成=居場所が定まる
というわけでもないだろうとは思う
・店内で洋楽が流れており、私の耳がそれを細かく聞き取れなくて良かったなと思うなどした
今日たまたま歌詞を知っている洋楽が流れて、耳が勝手に聞こう聞こうとしてしまって困った
頭の中に歌詞が出てくるというか、気がそっちにふれる感じがする
Jpopなど流されたら私は思考を止めてしまうかもしれないなと思った
思考する隙が無くなってしまうな
脳のリソースを何に割くか選べればいいのにな
今はこれを考えるぞ、今はこれをするぞ、というようにできたらいいのに
脳は結構勝手に動くものだよな
自分の体なのに
まあ脳が勝手な事をするのは仕方ないよなとも思う
それでこそ人間という感じもするな
昔読んだ脳科学だったかの本に、「自分とは最も身近な他人」というような旨が書いてあったのを思い出す
本当にその通りだなと時々思い出している